<dream>
翌日の朝
律子は窓から外の景色を見ていた。
「降ってるわねぇ、風も強そう…この調子だと撮影は中止ね」
土砂降りと言うわけでも無いが、結構な大粒の雨が風に煽られてバチバチとホテルの窓ガラスを鳴らしていた。
夕方になっても止まない場合は中止の連絡が律子に来る事になっているが空の様子を見る限り一日中ふり続けそうな雨雲が立ち込めていた。
「電話を待つまでも無さそうね。ふあ〜ぁ。二人ともゆっくり出来るし、私も少しやすもうかな」
昨日は千早達の部屋を出た後、遅くまで今後のスケジュールを練って律子が眠りにつく頃には午前4時を回っていた。
少しウトウトして、眠気がある程度収まると律子はコーヒーを淹れた。
一口飲むとコーヒー独特の酸味が口の中に広がって眠気を覚ましてくれる。
「ほぅ、プロデューサーのコーヒー好きが少し解ったような気がするわ」
ゆっくりコーヒータイムを楽しんでいたのも束の間、律子の部屋のドアが激しく叩かれた。
ドンドンドンドンドンッ!
「ちょ、誰よ?」
コーヒーをベッドサイドのテーブルに置いて慌てて駆けよると外からドア越しに千早の声が聞こえてきた。
「律子!律子!ちょっと来てっ!美希が…美希がっ!」
ドアの向こうから千早らしからず声を荒げて助けを求めていた。
「すぐ行くわ!」
千早の異変に気付いた律子はカードキーを手に取るとすぐさま部屋を飛び出した。
千早に次いで千早達の部屋に入るとそこには美希が苦しそうに息をしていた。
「どうしたの!?」
美希の側に駆け寄って様子を伺う。
「はぁ…はぁ…ケホッ…ふぅ…うぅっ」
美希は時折苦しそうに咳き込むと胸を押さえ込んでうなされていた。
「熱がありそうね…」
美希の額に手を当てると律子の手は美希の滲んだ汗で湿ってしまった。
「凄い熱ね…」
そう言いながら千早の顔を伺った。
「目が覚めたら隣で美希がうなされてて、凄く苦しそうで…」
少し青ざめた顔で千早が心配そうに美希を見つめていた。
「そう…こんな時期に濡れたままあんな薄い衣装しか着てなかったから…美希、聞こえる?聞こえてたら何か合図して」
律子が呼びかけると美希は静かに目を開けた。
「り…つこ」
苦しそうに喋る美希に律子は優しく声を掛けた。
「喋らなくていいわ。苦しいでしょ?辛いでしょうけど何か食べて薬飲もう?今から買ってくるから」
律子の問いかけに美希は小さく頷いた。
美希の頑張りに律子は微笑みで返した。
「千早、ハンドタオル濡らして額に当ててあげて。すぐに戻ってくるけど、時折氷をピックで砕いて食べさせてあげて」
千早が頷くと律子は部屋を出て自分の部屋から財布を取り出しホテルを飛び出した。
近くにあったドラッグストアで錠剤の風邪薬、ゼリー状の健康飲料、体温計を買いそのまま近くのコンビニでババロアのカップやタオルを買って外に出た。
携帯電話を取り出しプロデューサーの名前を見つけると発信ボタンを押した。
「プロデューサー、お疲れ様です。律子です」
「お疲れ様、美希に何かあったのか?」
プロデューサーは律子からの電話に直感的に何かを感じたのかすぐに美希の事を聞いてきた。
「ふぅ…その通りです。ホテルで寝込んでます」
「…容態は?」
「体温計で計ってはいないので正確じゃないですけどかなりの熱があります。風邪だと思いますけど…今、必要そうな物だけ買いました」
「そうか…有難うな。律子を送って正解だったよ、ほんと助かるよ」
律子の期待通りの動きにプロデューサーは感謝の言葉を送った。
「こうなる事を予想してたんですか?」
不思議そうに聞く律子に対してプロデューサーは真面目に答えた。
「まぁな。と言うより最悪のケースを想定したら律子が適任だったんだよ。悪いけど千早はこう言うのに慣れてないから何も出来なかっただろ?」
それを聞いて律子は素直に感心した。
「二人と面識があって、歳も近くて、色々対処が出来る人間ですか?」
フッと小さく笑うとプロデューサーは答えた。
「そう言うことだな。とにかく仕事を片付けたらそっちに行くよ」
「えぇ、お願いします。何も喋れてませんがきっと美希はプロデューサーに会いたがってますよ」
その言葉の後、しばらく沈黙が流れたがすぐにプロデューサーが口を開いた。
「はぁ…意志が弱いな、俺も。でも、こっちの件が片付くまでは頼むな」
「はい。とりあえず私は戻って看病してるのでホテルに着いたら連絡下さいね」
「わかった」
電話を切ると律子は急ぎ足でホテルへと戻った。
千早達の部屋のドアをノックすると少しして千早がドアを開けた。
「お帰りなさい」
千早が少し安心した様に律子に声を掛けた。
「ただいま。どう?美希の様子は」
ビニール袋を中身を漁りながら千早に美希の容態を伺った。
「言われた通りにはしてたけど…あまり良くは…」
ビニール袋から体温計を取り出して美希の側に駆け寄った。
額に濡れたタオルを乗せてはいるが相変わらず美希の顔は紅潮していて苦しそうにしていた。
「美希、ただいま」
美希の髪を優しく撫でながら美希の意識を確認した。
「ん…」
美希が小さく声をあげる。
「ん、ただいま。美希、ちょっとごめんね」
美希のパジャマのボタンを上から三つ程はずし少し開くと脇に体温計を差し込んだ。
「ふぅ…相変わらずすごい身体してるわね」
苦笑しながら言う律子の手際の良さに千早は感心していた。
「律子。本当に、律子が居てくれて助かったわ」
「どうしたのよ?千早」
美希の腕を押さえながら律子が不思議そうに聞いた。
「ううん、私だけじゃきっと焦って何も出来なくてプロデューサーをまだ探してるんでしょうね」
寂しそうに千早は笑った。
ピピッ ピピッ ピピッ
体温計から電子音がすると律子はそれを取り出して確認した。
「38度7分…」
美希のパジャマを戻すと彼女に声を掛けた。
「美希、ゼリーとかババロア食べられる?飲むだけのゼリーも買ってきたよ?少し食べて薬のもう」
半ば強引に美希の上半身を起すと美希に食べたい物を選ばせた。
ババロア好きの美希も流石に食欲が湧かないのか飲むゼリーを手に取った。
「これね?」
律子は美希が取ったゼリーのキャップを外すと美希が口に付けるのを確認して少し容器を握ってあげた。
美希は律子が押し出してくれるゼリーをコクコクと飲むとどうにか一つ口にする事が出来た。
「後は薬飲んでゆっくり寝てれば良くなるわよ。千早、お水と袋から風邪薬を持ってきて」
それを聞いて千早がパタパタと駆け出す。
千早が持ってきたものを受け取ると律子は美希に飲むように促した。
「薬は嫌いかも知れないけど、ちゃんと飲んで?」
1粒美希に手渡すと美希はそれを口に運んで水と一緒にコクリと飲んだ。
「うん、ありがとう美希。素直に聞いてくれて」
律子がそう言うと美希はフルフルと頭を振った。
「ケホッ…りつ…こ…ごめ…コホッ…ね?」
すまなそうに上目遣いで見つめる美希の髪を律子は優しく撫でてやった。
「いいのよ。ほら、ちゃんと休んで?寝ないと治らないわ」
美希をそっと横たえさせると布団を被せてあげる。
しばらくすると少し落ち着いたのかスースーと寝息をたて始めた。
「落ち着いたみたいね…千早も疲れたでしょ?ゆっくり休みなさい。どのみち今日は撮影出来そうに無いし」
律子が時計を見ると時計は12時を過ぎていた。
「薬が効いてる間は大丈夫だと思うから、千早も少し休んで。私は部屋に居るから」
「わかったわ、ありがとう」
千早がそう言うと律子は自分の部屋に戻っていった。
部屋に戻ってしばらくすると律子の携帯電話が鳴った。
「はい、秋月です…えぇ…解りました。ではまた明日ですね?…はい、ではまた」
パタンと携帯を閉じると再び携帯が鳴り出した。
着信を確認して律子は携帯を開ける。
「もしもし?」
「律子、俺だよ」
「着きましたか?」
「今下に居るよ、今からそっちに行くから少し待っててくれ」
「わかりました」
携帯を閉じて部屋から出ると少ししてプロデューサーがエレベーターから降りてきた。
「悪い悪い、美希は落ち着いてるか?」
プロデューサーの言葉に律子は少し呆れた感じで言った。
「会って開口一番それですか?全く…」
苦笑しながらプロデューサーが答えた。
「すまん、気になってしかたないんだな。俺も…」
そんなプロデューサーを見ながら律子は微笑んだ。
「仕方ないですね、ちょっと千早を呼んで来ますね」
そう言って律子は千早を呼びに部屋をノックした。
静かにドアが開かれ中から千早が顔を出す。
何かを少し話すと千早が部屋から出てきた。
「おはようございます、プロデューサー」
千早が声を掛けるとプロデューサーも笑顔で返した。
「おはよう、千早」
「どうですか?そちらの調子は」
その言葉にプロデューサーは困ったように頭を掻いた。
「ん、まぁそれなりにな」
煮え切らないプロデューサーの言葉に千早はあまり進展してない事を実感した。
「はぁ…」
「それより、美希の調子は?」
「今は寝てますよ、薬が効いてるみたいです」
「そうか…ちょっとだけ、様子を見てきてもいいかな?」
確認する様にプロデューサーが言うと千早はそっとカードキーを手渡した。
「ありがとな」
カードキーを通すと鍵の開く音がカチャリと聞こえた。
中に入ると美希が静かに寝息を立てていた。
千早が看病する為に置いたであろう美希のベッドの隣の椅子にプロデューサーは腰掛けた。
少し息苦しそうにしている美希の髪を軽く撫でると美希は小さく声を上げた。
「ん…」
起してしまったのかと焦って手を引いたプロデューサーだったが少し寝返っただけだと知るとまた髪を優しく撫でた。
相変わらず少し固くてツンツンしてる美希の髪は撫でる度に元の位置に戻ろうとして跳ね返ってくる。
「美希…」
そう言って今度は美希の小さな手を取った。
着いて間もないプロデューサーのひんやりした手が気持ち良かったのか美希は握られた手をキュッと握り返した。
それを見たプロデューサーは小さく笑った。
「ハハッ、赤ん坊みたいだな」
指を絡めて手を握り直す。
心なしか美希が安心したように大きく息を着いた。
しばらくそうしてプロデューサーは時計を確認すると待ち合わせの時間が迫っている事に気付いた。
「そろそろか…」
美希の顔を側でみて少し安心したプロデューサーは眠っている美希に声を掛けた。
「ごめんな、美希。…じゃあ、行ってきます」
頬に軽くキスをすると美希の手をそっと置いて歩き出した。
「ん…ハ、ニー…」
呼ばれて慌てて振り返ると美希は相変わらず目を閉じたままだった。
「寝言か…」
胸を撫で下ろしてもう一度ドアに向かって振り返る。
「行か…ないで…」
「…」
プロデューサーはそのままドアを開けて部屋を出て行った。
部屋を出ると千早と律子がプロデューサーを出迎えた。
「どうでした?美希の様子は」
「うん、落ち着いてるみたいだ。二人ともありがとうな」
「いえ、大切な仲間ですから」
千早が照れながらそう言った。
そんな千早を見ながらプロデューサー小さく笑った。
(千早も人間的に成長したんだな)
「それじゃ、行ってくる!」
軽く手を上げてプロデューサーが言った。
「はい、いってらっしゃい」
二人はプロデューサーを見送ると美希の居る部屋に入った。
美希は相変わらずすーすーと寝息をたてていた。
「少し熱も引いてきたみたいね」
律子がハンドタオルを取って美希の額に手を当てながら言った。
そのまま額にくっついた前髪上げるように髪を梳かしてやると美希が不意に目を開けた。
「あ、ごめん美希。起しちゃった?」
律子の言葉に美希はまだ寝惚けているのか大きな瞳をパチクリさせていた。
美希が目を覚ましたのを聞いて千早も駆け寄ってきた。
「美希、調子はどう?」
千早が声を掛ける。
「うん…今は楽なの」
ようやく口を開いた美希の言葉は少しずつ調子を取り戻しているのを感じさせた。
「ねぇ、ハニーはっ?」
突拍子も無く言った美希の言葉に二人は驚いた。
「な、なんのこと?」
千早が慌てて美希に聞き返す。
「ハニーが…居た気がしたの」
キョロキョロとプロデューサーを探す美希の頭を撫でながら律子が言った。
「プロデューサーは来てないわよ。夢、見てたの?」
律子の言葉に美希は首を傾げながら不満そうに呟いた。
「…夢、か。うん…夢なら、その方がいいかもなの」
少し安心した感じで美希が言った。
律子が体温計とババロアのカップを持って美希の側に座った。
「はい、熱計って。食べられたらババロア食べて薬飲もう」
律子の言葉に従いながら美希はババロアを口に運ぶ。
「はむはむ…」
「どんな夢だったの?」
律子が聞くと美希は少し寂しそうにスプーンを持つ手を休めた。
「ミキが寝てたらハニーが来てくれて優しく頭を撫でてくれて…」
「ミキ嬉しくって、でも何でか動けなくって…ミキ、ハニーに触れたくって、でも出来なくて」
少し嬉しそうに話す美希の言葉を二人は黙って聞いていた。
「そしたらハニーがミキの手、握ってくれたの」
「気持ちが通じたって、思ったの。ハニーの手、すごく久しぶりな感じがした…」
そこまで言うとミキは少し俯いてしまった。
「どうしたの?美希」
急に態度が変わった美希を不思議に思って千早が声を掛けた。
「その時はすごく嬉しかったの。でも…その後ハニーが言ったの」
続きを言う前に美希の瞳からポタリと雫が落ち布団に染みを作った。
「『ごめん、じゃあね』って…」
ポタポタと零れ落ちる涙は布団の染みを大きく広げていった。
「美希…」
「ミキ、言ったの。『行かないで』って…。何度も何度も言ったの…でも、ダメだったの…」
そこまで言うと美希はようやく涙が零れない様に両手で目を覆った。
「美希…もう、馬鹿ねぇ」
千早がそう言うと美希も律子も驚いた感じで千早の顔を見上げた。
「プロデューサーが美希を見放す訳無いでしょ?美希が言ったのよ?」
何を当たり前の事なのにといった感じで千早が話し出す。
「夢の中なら尚更でしょ?それとも、美希の中のプロデューサーはそんな人なの?」
千早の挑発的な言葉に美希は少しむきになって応えた。
「違うもん!そんなことないもん!」
その様子をみて千早はクスッと笑った。
「それなら、気にする事は無いでしょ?自信持ちなさい!」
千早の言葉に美希は大きく頷いた。
「…うん!ミキがんばるっ!」
律子はそんな二人のやり取りを見て少し羨ましく思った。
お互い深い信頼関係で結ばれている事。
それだけではなくプロデューサーとも信頼しあっている事。
今までの付き合いがそれを揺るがない物にしている事。
プロデューサーの付いていない自分にはどうにも出来ない事を律子は羨ましく思った。
律子が感傷に耽っていると美希の体温計がピピッと音をたてた。
「さて、熱はどれ位かしら?」
美希から体温計を受け取ると律子はそれを確認した。
「37度2分か…うん、この調子なら早く治りそうね」
満足そうに微笑む律子を見て美希が言った。
「律子…さん、ほんとにありがとうなの」
照れくさそうに言う美希を見て律子が言った。
「治ったら明日からキリキリ働いて貰うからね!」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべる律子の言葉に美希は俯いて答えた。
「うぅ、はい…」
「食べられそうならルームサービスとか頼んで何か食べるのよ?」
「うん、解った」
「色々あるみたいだから、選ぶのも楽しいんじゃない?」
笑いながら律子は言った。
「律子、今日はどの道オフなのでしょ?」
「あそうだったわ。すっかり忘れてた。」
「クスッ。なら律子も一緒に居て?たまにはゆっくり話しも聞きたいし」
千早の言葉に律子は少し皮肉っぽく答えた。
「貴方達ほど忙しく無いから変わった話しなんて持ってないわよ」
「なら尚更よ、私達の知らない噂話しとかもあるのでしょ?」
千早が意味深な笑みを浮かべると律子も観念した様に微笑んだ。
「仕方ないわね」
そうして3人は今日のオフを一日中談笑して楽しんでいた。
その頃、時を同じくしてプロデューサーは一人の女性と会っていた。